世界中の大鱒を

アラスカへの誘い 

 1971年、釣り紀行の傑作『フィッシュ・オン』が発売される。著者はもちろん開高健。アラスカのキングサーモンを皮切りに、スウェーデン、西ドイツ、フランスなど地球を半周。その最後を日本の銀山湖で締めくくった本書は、すぐに釣り人のバイブルとなった。これに伴って、国内では第一次ルアーブームが到来。市場からルアーが消え、それがきっかけとなって『Bite(バイト)』が生まれたことはすでに述べた。
  しかし、この本が日本の釣り人に与えた影響は、ルアーフィッシングの振興のみには留まらなかった。キングサーモン、パイク、アトランティックサーモン、ブラウントラウトなど、未だ見ぬ海外の魚たちへと、その心を誘ったのである。もちろん、現在のように国内の鮭はまだ釣りの対象ではない。見る者を圧倒する雄大な自然と、そこで繰り広げられる大物とのドラマは、釣り師憧れの的となったのだ。
  翌年、そのブームに乗じるかのように、ある会社がアラスカのフィッシングツアーを企画した。たちまちメンバーが集まり、ツアーが実現。その中にはもちろん常見忠の姿もあった。夢と希望にあふれ、ようやく降り立ったアンカレッジ国際空港。そこからキーナイ半島を南下、眼前に迫る氷河と雄大な絶景に圧倒される。キーナイ川に差し掛かると、両岸を婚姻色に染まった紅鮭が埋め尽くす。釣り人ならずとも息が止まるほどの感激に襲われ、しばし水中を揺らめく魚体に見とれた。
  しかしながら、現実はそう甘くはなかった。プランクトンイーターのレッドサーモンは口を使わず、ルアーにはソッポを向く。憧れのキングサーモンは上流の産卵場へと急ぎ、シルバーサーモンは遡上が始まったばかり。アラスカ初遠征で分かったのは、「レッドサーモンはルアーでは釣りにくい」「お盆時期のアラスカではルアーの対象魚が少ない」ということだった。それでも現地で感じたことは何よりの収穫で、誰もが「来年こそは……」という熱い気持になったという。
  その後も、常見のアラスカ詣では続いたが、その開拓精神が結実するのは、4回目の釣行となった1974年のこと。そう、開高健がキーナイ河でキングサーモンを釣る伝説のビデオエッセイ『河は眠らない』の撮影釣行である。この釣行は、そもそも常見の呼びかけに応じて行われたもので、もちろん案内役として彼も同行する。「40ポンド以下はリリース」という開高に、最終日68ポンドのビッグサーモンがヒットするクライマックスは圧巻である。
  このビデオエッセイの発売を機に、釣り人たちのアラスカへの憧れはより一層強いものとなり、その後の海外ツアーの地盤がしっかりと形成されることとなる。

モンゴル、ソビエト連邦の河川へ

 その後も、常見の海外への夢は決して眠ることがなかった。次なるターゲットは、モンゴルのイトウだった。
  モンゴルのイトウと言えば、チョロートゴルで繰り広げられた開高健のテレビ番組が有名だが、実はその先発隊として、常見が下見に出掛けていた。彼はこの時1m18cmのイトウを釣り上げ、開高への情報提供に多大な貢献をする。1986年のことだ。
  更に、当時はカチカチの社会主義国家であったソビエトへも出掛けた。ビザの取得にずいぶんな時間を要したが、新潟からハバロフスクヘ。官僚的な対応に苦慮しながらも、クール川では巨大なタイメンと格闘。その後サハリン、カムチャツカにも足を伸ばした。
  カムチャツカでは、手配の甘さから貨物船の甲板からルアーをキャスト、空港では銃を持つ酔っ払いに絡まれる。更に、燃料不足で飛ばない飛行機、迎えに来ない車、日本では噂で聞く悪評が現実のものとなり、途方にくれることもしばしばであった。そんな国情を味わいながらも、まだ見ぬ川の流れとそこに住む魚を求める気持ちは少しも変わらなかった。
  そして、常見の海外への夢は更に拍車が掛かる。1989年には、沿海州最大の河川トゥムニン川の支流フトウ川へ。スプーンの釣りから始まった繋がりは、スポーツ交流、ハバロフスクの要人の手配により、自然保護区への入川許可へと話が進んだ。翌年には本流のサクラマスとイトウを狙って再度訪れ、計三度の釣行を繰り返した。このときの模様は『シーマというサクラマス』というタイトルで釣り雑誌を飾った。コッピ川のサクラマスが表に出てくる、一昔前のことである。

究極の対象魚

 アラスカ25回、ロシア9回、モンゴル1回。 74歳にいたるまで、常見の海外遠征は続いた。その計35回の遠征の中でも、手放しで舞い込んだ話は「モンゴルのイトウ」だけだったと言う。 そんな常見忠の豊富な海外遠征の中で、最も印象に残っているのが、1996年から数回出掛けたアラスカ半島チュートナリバーでのキングサーモン。
「5種類のサーモンを釣りたかったんです。その中でもキングサーモンは別格の存在。キーナイ川には独自の釣り方がありますが、チュートナリバーでの釣りは最高でした」
  海から遡上したばかり、活性の高いフレッシュなキングサーモンがスプーンに襲い掛かる。川の規模や水色、流れの強さ、そして何よりも遡上数の多さ。アラスカ広しとはいえ、そんな場所はそう多くない。まさに理想の釣りだった。そしてこの時の模様は、 『鮭王よ永遠に』というビデオの中に収録されている。常見忠が追い求めてきたスプーンフィッシングの集大成でもある。
  常見忠が人生を賭けて追い求めた海外の釣り。そこまでして追い掛けたものはいったい何だったのだろう。
「まだ誰もルアーを投げていない時に大イワナを釣ったあの日から、私の旅は始まったんです。とにかく新しいものへの挑戦でした。それは、決して魚との出会いだけではなく、様々な人々との交流の場でありました。今となっては私にとって、かけがえのない財産ですね。体力があれば、いますぐにでも行きたいぐらいですよ」
  アラスカ、ロシア、モンゴル……。今では海外への釣行も、決して夢ではなくなった。でも、そうした利便さの陰に、先人としてそれを牽引してきた常見忠の存在を忘れてはならない。

 


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